月: 2020年8月

意固地

意固地の人ってよく見かけますよね。見かけるだけならまだしも家族や友人、職場の同じ部署でそんな人がいたら厄介です。

意固地の特徴は何と言っても他人の意見に耳を貸さない、自分の考えをあくまでも変えないということです。ただし、話をよく聞いていると、何か根拠があるとか客観性があるとか、どうもそういうことではないことに気づきます。

その人のこれまでの経験(といっても一般的には狭い経験)や自分が少しばかり成功した体験などから導かれる¨信念゛がその元になっているのでしょう。

そして多くの場合、意固地になっている人は被害者意識を持っており、外からの攻撃に防御しようという態度を示します。

昔働いていた職場ではよくこんな社員の声を聞きました。彼あるいは彼女いわく、自分は周りから嫌われている、自分の言うことを誰も聞いてくれない、自分を理解してくれる人が誰もいないーーなどです。

でも周りの人に話を聞くとだいぶ様子が違う場合が多いようです。周りの人は意固地になっている人に問題が生じていないか声をかけたり、みんなが集まる場に誘ったりして結構気づかっています。

残念ながら意固地になっている人はそんな他人の気配りが感じれないほど余裕がなくなっています。とにかく殻に籠って自分を守りたい、決して傷つきたくないという気持ちが優先されてしまいます。

殻の中から見た風景はどんなものでしょうか?視界が狭く、音も良く聞こえない、臭いもしない、体感覚がないといった感じでしょうか?

意固地になっている人は人間が本来持っている五感というものが上手く働いていないように思えます。

こんな人こそ心理カウンセリングを受けてほしいものですが、自分こそが正しいと考えているので、カウンセラーに出会う機会は極端に少ないでしょう。自らの気づきに期待するしかないかもしれません。

ゴマスリ

ゴマをすったり、すられたりした経験は誰にでもあるのではないでしょうか。職場ではよく見かける風景ですよね。そこには物理的あるいは精神的な上下関係が必ずあります。

ゴマをする側から観ていきましょう。職場を例にとると分かりやすいでしょう。ほとんどのケースは部下が上司に対してゴマをすります。相手が権力を持ち、自分の生殺与奪権を持っているとしたら、多少人づきあいが苦手な人でもゴマをするでしょう。

理由は簡単です。自分の得になるからです。自分が嫌われないで済む、好意を持ってもらえれば処遇される可能性もあるからです。今は上司が部下にゴマをする場合もあります。仕事はできるがちょっと厄介な部下がいる場合、上司は自分の管理能力が疑われないように部下にゴマをすって事を荒立てないようにするなんてこともおきます。

いずれにしても自分の保身が一番であることには変わりありません。ゴマをする相手への尊敬や信頼などがあるかどうかはあまり関係ありません。そしてそれが常態化すると自分の心と行動の矛盾に気づき、心身の歪みにつながる場合もあります。

ゴマをすられる側を観てみましょう。部下からゴマをすられる上司はそれが本心ではないと知りつつも悪い気分はしません。自分の言うことを何でも受け入れてくれて、しかも自分の権力を皆に見せつけることができるのですから。

長い年月、毎日そんな生活を送っているとそれが普通だと思ってしまうところが人間の困ったところです。ゴマをすられていることさえ忘れてしまい、自分は尊敬されている信頼されていると錯覚してしまうのです。

すべての人間関係が上下関係でしか見れなくなってしまいます。横の関係とか一人の人間として社会に向き合うなどという発想は生まれなくなります。

特に組織のトップに立った人間の引き際は難しいものがあります。長年ゴマスリに慣れきってしまった人にとっては地位を失うことが本当に怖ろしいと感じるでしょう。

何故なら誰も心から自分を尊敬したり、好意を持っていてくれた訳ではないからです。そのことを一番知っているのは本人ではないでしょうか。

ゴマをすったり、すられたり。人間関係の潤滑油として機能しているくらいならさほど問題ないかもしれません。でも、いずれの場合でも慣れきってしまったら失う方が多いかもしれません。

短期的には良くても長期的には割が合わないなんて事にならないように注意したいものです。

贔屓

贔屓の引き倒しとはよく言ったものです。贔屓目で物事を見ると、つい歪んでしまうということがあります。だれでも経験したことがあるのではないでしょうか。

贔屓の背景にはその対象への愛情や好感があります。それも一方的な感情や気持ちがあるような気がします。

プロ野球を例にとってみましょう。熱狂的なファンが多い阪神のケースが分かりやすいと思います。

毎年、開幕前に阪神ファンは盛り上がります。今年こそ補強も上手くいき、上位はもちろん優勝を狙えると期待は高まります。ほかの球団でも大なり小なりファンの気持ちはほぼ同じです。

でも阪神は人気球団なのでファンの期待は生半可なものではありません。特に補強した外国人選手に対する期待は熱いものがあります。

キャンプ中のフリーバッティングで柵越えのホームラン性の当たりを何発打ったかということで大盛り上がりです。よく言われる「バースの再来」という言葉が飛び交います。

ファンの気持ちをさらに高ぶらせるようにスポーツ紙が大きな見出しで「バースの再来」を訴えてきます。過去に外国人選手の大活躍があったという大きな成功体験があるので、誰でも夢よもう一度という気持ちになるのはやむを得ないかもしれません。

外から見ると、まだ開幕もしていない外国人選手にこんな期待をかけなくてもと思ってしまいます。当の選手に余計なプレッシャーをかけてしまうし、持ち上げるなら公式戦で活躍してからでも遅くないのにと思ってしまいます。外国人選手がちょっと気の毒なような気がします。

やはり贔屓というのは一方的な要素が強い感情に思えます。

贔屓は家庭でも学校でも職場でも見受けられる光景です。親から子供、先生から生徒、上司から部下へと。一方的にでも愛情や好意を持たれた子供や生徒や部下はそれなりに居心地が良い気持ちで生活を送ることができます。

他人から愛情や好意を持たれることは悪いことではありませんが、自分を見失う可能性もあります。

行動の基準が常に「他者からの承認」になってしまう危険性があるからです。人間は他者からの承認を求めると際限がなくなってしまいます。これで大丈夫という満足感が得らないからです。

一方で「自分に対する承認」ができる人は満足感が高い人生を送ることができます。自己承認は贔屓からは決して得られないということです。贔屓されて成功し幸せを感じている人もその落とし穴に気を付けた方が良いと思います。